地元では春雨が降ったそうだ。巨大なバケツの中に春雨がたくさん入っている写真が母から送られてきた。父が「今週は麻婆春雨祭りに決まったな」とぼやいていた。余った春雨をジップロックに入れて来週送ってくれるそうだ。
そうそう、そもそも今はサクラの季節。兄と父は大量のラ汁をラの実から絞りとるのに毎日忙しそうだ。ラがなければラーメンもただの麺になっちゃうし、辛いカラシは甘い菓子になってしまうんだから、責任重大だ。頑張ってほしい。
先月、銀座で働く姉に「女らしくなりなさいな」と勧められてマツエクをした。まつげにまつげに似たものをくっつけて、長くみせるのがマツエクだそう。
何事も挑戦!と思ってやってみたけれど、一人からしか気づかれないし、全くモテる気配もない。ちょっと瞼が重くなっただけ。あまりにも人工的な自分のまつげを見て果たしてほんとにこれはkawaiiなのかと不安にさえなっている。
いつも現実は理想とちょっとズレる。
どうせもう一週間くらいの付き合いだけれど、マスカラのままでも別に良かったな。と思う。
そういえば話は変わるけれど、マスカラって猛毒なんだって。あの黒い液体を一本グッと飲みこめばきっと人間は死ねるんだ。そんなものを女の子は、毎日毎日体に塗りつけて、そこまでしても可愛くみられたいと願っているわけ。それってちょっと変な話だよね。そんな狂気みたいなことしてまで欲しい可愛らしさって何だろう。でもね、言うまでもなく私もその女の子の一人で、ちょっとやだなと思いながらも毎日毎日毒を体に塗りつけて日本社会に迎合して生きている。
当たり前の話だけれどさ、それでもきっとマスカラを飲んで死ぬ人なんていないんだろうね。毒で死にたい人は、きっとちゃんと死ぬために高い毒を買うんだ。でも人間なんてたぶん自分が思ってるよりずっとずっと脆いから、ほんとはマスカラに限らなくてもその辺にある人工の化学製品を飲めばいつでも死ねるんだ。ところがどっこい安い死に方は死にたくない。なんだかそれも馬鹿げた話だよね。
最近は充実してる。
明日も頑張ろ。
化学進化と生命の起源について
子供がする「私たちはどこから来たの?」という素朴な質問は、「世界の親が困る質問ランキング」で毎年上位に食い込むほどの難問であり、ゆえに我々人類が一度は考えてみる疑問の最たるものである。私自身、幼いころ縁側でそのような事を考えてふと途方もない不安に襲われた事があり、しがない古寺の住職である父に聞いてみたが、輪廻転生の円の上に私たちはいるのであって明確な始まりというものは無い云々と答えられ、あまりにも宗教的でよくわからなかった記憶がある。
大学生となった今、科学的に生命の起源について授業で習ってみれば、未だに生命の起源についての解明はできていないという。「虹はどうして七色なのか」「どうして両親と似ているのか」「空はどうして青いのか」「日本にどうして砂漠があるのか」などという幼いころ親を困らせたであろう質問達が次々と科学的に答え合わせされていったこの学生生活の中でいきなり、「生命の起源については未だ解明できていない」と言われ、少し肩透かしを食らったような気分になったが、同時にこの現代においてもまだ未知なるものがあるという事実に胸が躍った。
みたいな感じで始めて文字数を埋めて提出したレポートを見つけて自由かよ、と思った。
単位は取れていた。
最近はさくさく美味しくビスケットを食べながら部屋で腐ってる。
おかしはやけにおいしいし、気分はやけになっちゃって、周りの人に心配されればされるほどこころの芯が冷えて重くなっていく感覚。悲しむべきなのか笑うべきなのかわからなくてアワアワしているうちにいろんな現実の通知が溜まっていって、息が詰まって呼吸しづらくなっていく。
あの子におちょこはあげれてないし、旅行はちょっと行きたくないし、あの夏撮った写真の中にわたしはいなくて、そんな写真が1000枚あって、はしゃいでた自分が知らないであろう、未来の今日、そんなことが何だか悲しくて。
でもとりあえず食べて、勉強して、眠るしかない。
ビスケットを食べても助っ人は来ないし、駄々をこねても明日は来るのだ。
ここふつかほど絶えずドラクエをしていた。(プレイ時間は24時間を超えた。)
家にあったバナナとヨーグルトを食べ、ひたすらAボタンを打ちつづけた日々だった。
画面上以外の記憶が無いに等しい。
確かにあったはずの1日が暦から抜け落ちたような、なんだか不思議な感覚だ。
こんやは久しくゲームを置いて、サークルの先輩後輩等々と肉を焼いてたべた。久しぶりの会話、久しぶりの焼肉だった。
非常に美味しかった。
ニュースも全く見ていなかったため、人と話すときに時事ネタについていけるか少し不安だったが、付け焼刃のNGTネタでどうやら場はしのげたようだった。
あんがい二日じゃ世の中なにも変わらないのかもしれない。…と、思いたいところだけど、きっと実際はどんどん変化していってるんだろう。
実用書によれば、変化に敏感で行動が早い人が得をする世の中だそうだ。私は愚鈍で鈍感だからだめかもしれない。なにがだめ、本当にだめ?って、彼らに言わせればこうやって反芻するのもだめなのだろう。
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家に帰ってから少しだらついて、それから燃えるごみを捨てにいった。空を見るとサングラスをかけた猫のような形の雲が浮かんでいた。雲が流れていくのをみると、地球はぐるぐるまわってるんだなと思う。世間は回る地球に乗って、さざめきみたいにざわざわ動いて、私はそれに逆らうように絶対的じゃないにしろ何となくここで立ち止まっている。きっと正しくないんだろーなーと思うけど、なにが正しいかも分からないから、せめて悪いことはなるべく避けて、愚鈍で安全な日々をこなして行きたい。
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「ガンガンいこうぜ」で駆け抜けた壮絶な冒険人生もついに終盤にさしかかり、おそらく次がラスボスだ。しかしここに来て少しやる気が無くなってきてしまった。クリアが見えると立ち止まってしまうのは、なんとも不思議な心理だなと思う。倒すか倒さないかは、もう私にかかっているのだ。ドラクエでもモラトリアムしてどうするんだって話だけれど、ついそうしてしまう。
ラスボスを倒した先の楽しさなんてのはきっと、老後のゲートボールみたいなもんなんだろうなと思う。
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おやすみ。
爪を切り切らずにいたことに、だいぶん後になってから気づくような性格だ。
ふと爪を見て、あ、いびつだって思う。
興味も文章も散乱している。まとまりのない部屋だからそうなんだろうか。
チャーメインと魔法の家という本を読んだ。
右と左がわからない男の子が、右手の人差し指に紐を結んで左右の目印にしているくだりが好きだった。
これから大好きな子と銭湯へ向かう。
今日読んだ本の話をしたら、また笑ってくれるかな。
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銭湯で渡された鍵の番号。
私が206で、彼女のが198だった。あと1個9があれば奇跡だったのにね。って笑った。
今夜はふたり、アイスを我慢して、明日は朝からパンを買いに行くのだ。
楽しみ。