妄想①

ときどき、他人の今日を考える。

たとえば、タバコが恋人の研究室の助教とか。

 

新学期が始まり、学生の世話に追われて自分の研究がなかなか進まない。深夜まで大学にこもって調べものをし、疲れ果てて帰路につく。今日はやけに寒い。街頭に照らされた白い桜が、風も吹いていないのにはらはらと散り始めていた。

少し小走りで家に向かうと、仮住まいの住宅を白熱灯が映し出していた。冷たいドアノブを引くと真っ暗な自分の部屋が現れる。電気をつけ、脱いだ靴をきちんと靴箱に入れて、小さく「ただいま、」と呟く。

窓際のハンガーに綺麗に並べて干してあるタオルの一番右のものをを手にとって、洗面所に手を洗いに行く。鏡に映った自分の、日に日に濃くなる目の下のクマを眺めて自分も老けたなと思う。

水道の蛇口をひねるとき、右手の付け根あたりにキラリと光る薄いガラスのようなものが貼りついているのに気がついた。手にとって、光に照らすと、それは魚の鱗だった。

そこでふと、今日殺した201を想った。

新潟に来て、初めて卵から育てた魚が201だった。4年間毎朝毎晩エサを与え、体長数ミリだったところから30cmを優に超える大きさまで育て上げた。エサをあげようとすると犬のように付いてくるのが愛らしかった。そのうち感情の機微も何となくわかるようになった。イライラしたり、喜んだり…驚くなかれ彼らにも多少の感情があるのだ。

かつては研究にも大いに貢献してくれたが、四年も経つと年老いて、生殖能力が著しく落ちた。水槽の数からしても使えないオスをこのまま飼っているわけにもいかなかった。

 

決めたのは3日前だった。

 

顕微鏡を覗きこんでいる時、麻酔にかかった201と目が合った。呼吸が出来ず痙攣する身体、しかし麻酔で自由が奪われて逃げることは叶わない。対物レンズに映る黒い目からは徐々に 確実に光が失われてゆく。そこにはきっと、同じようにレンズに拡大された自分の虚ろな目が映っていたのだろう。光が消えるその瞬間まで、ずっと。確かに201は私の目を見据えていた。

 

研究室に配属された学生に「この魚、食べられる種類ですよね。先生は死んだ魚を食べたりするんですか?」と聞かれた。

私は「食べられない。」と、答えた。