魔法使いに

今日はTちゃんに誘われて映画を観てきた。今大ヒット中のファンタジー映画。

ど迫力のアクションシーンと、怒涛の展開で、ハラハラしながら2時間があっという間に過ぎていった。

 

でも、ふと。

私が魔法を使いたかった理由ってなんだったっけ。

と思ってしまった。

これじゃない感を少し感じてしまった。

 

 

 

小学生の頃、竹箒にまたがって「私にも魔法が使えたらなー!」って思っていたのは空を自由に飛んでみたかったからで、

その辺にある棒を振り回していたのはちょっと何かに変身してみたかったからで、

地面にチョークで魔法陣を書いていたのは友達が欲しかったからで。

それが私の魔法だった。

 

嫌な奴をやっつけるとか、世界を救うとか、誰かの為に使おうなんてちっとも思ってなくて、自分がしてみたい事をさせてくれる「魔法」に夢見てた。

 

 

小学校五年生から中学生にかけて貪るように読んだハリーポッターシリーズ。生まれて初めて深夜12時の壁を越えて目を開けてられたのは「炎のゴブレット」のおかげだった。親の足音がするたびに豆電気をカチッと消して、枕の下に本を隠して寝てるふりをして、いなくなったらまた読んで。

そのうち、電気を消し忘れたまま魔法を夢見て眠っていた。

 

 

今日見た映画では魔法で何かを破壊するシーンがたくさん出てきて、魔法ってこんなにも暴力的だったっけと思った。私が見た夢にはこんな魔法出てこなかった。

 

平和とか、戦争とか、人種差別とか、愛とか、そういうのは確かに大切な事だろうけど、そういうのは戦争映画やニュースで十分で、魔法の夢は夢のままがいいなと思ってしまう。

 

 今思えば、ハリポタのシリーズにもそういうメッセージがたくさん盛り込んであった。ただ、小さい頃の私は魔法にワクワクするのに必死でそれに気付けなかっただけ。いや気づかないでいる事ができただけだ。もうさすがに子供の頃の感性でハリーポッターを見る事はできない。

 

けど、きっと。代わりに、現実を見る力を少しだけ手に入れている。

多分それはそれで、来るべき大人の世界に立ち向かうためには必要不可欠なんだと思う。これも成長なんだと思う。

しかし、こと人生を楽しむのにかけては退化のようにも感じてしまう。

 

 

20歳の誕生日の日にお母さんが

「急いで大人にならなくてもいいんだよ」

と言ってくれたけど、大人っていう出口は私の意思に関係なく近づいてきてしまうみたい。それもきっと見ようによってはいいことなんだけど、わかってるんだけど、でも怖い。

 

神様もう少しだけ待って、お願い、って言いたくなってしまう。

 

このままじゃピーターパン症候群に向けてまっしぐらかも。