拝啓住職の君へ

 

最近私と姉にとって、いや家族全員にとって驚きの事実が家族内に暴露された。それは、兄に文才あった事である。家族で一番本を読まない兄。その兄に文才があるとは誰も思わなかったのだ。

正直妹は少しばかにしていた。ごめん。

 

文才というと、小説を書いて何かを受賞したのかとか思われそうだけどさすがにそんな事はない。でも兄が最近文章を書いたのは確かだ。「文章くらい誰でも書くだろう」と思う人もいるかもしれないけど、家族の為に何枚もの手紙をしたためた事がある人は少ないんじゃないだろうか。

兄が家族に手紙を書くようになったのは最近のこと。手紙と年に数回の電話しか連絡手段のない場所に彼がいるため彼は手紙を書くようになった。茶色い封筒に入った縦書きのシンプルな白い手紙に書かれた内容は、両親への気遣いや、欲しいもの、最近の出来事、そんなたわいもない事。でも、それを綴ることばは、家族へ対しての彼の温かさやユーモアが感じられて、なんだか胸がほっこりする素敵なものだったのだ。(父や母は手紙が届くたびに笑顔で泣いている)

人を感動させられる文章を書けるってのは凄い。

お兄ちゃんは凄かった。

 

私も姉も、本を読んでいるという点で兄に対して優っている風に装ってきたのに、(私に関してはちょっと偉ぶってきたのに。)それがいま、兄の手紙の出現によって揺るがされているのである。

 

このブログも、ツイッターも、Facebookだって、家族は知らない。長い文章にはあまりにも自分がでてしまって恥ずかしいからナイショにしている。それに正直、私は本を読んでいるわりに文章がへたっぴだ。このブログだって、何度も加筆したり消したりしてるけど、それでも何だか読みづらい。家の中でも文学少女キャラを通しているから、これは私の最高機密文書なのである。

 

家族への連絡はたいてい、短いメッセージか電話でおこなっている。短いメッセージでは伝えきれてない事、伝わらないニュアンスはたくさんある。それは愛情だったり、ユーモアだったりするだろう。

きっとそれを伝えることが出来るツールは世界で唯一、手紙なのだ。

 

私も誰かに手紙を書きたくなってきた。最後に誰かに渡したのはいつだろう。

実際、いろいろと誰かに聞いてほしい事はあるけれど、「○○さん」に届けなくても、不特定多数の誰かに届けることがあまりにも簡単な世の中で(ブログやツイッター)それなら内容に無責任でいられるので、ついそっちを選んでしまう。でも責任を持って○○さんに向けて手紙を書きたいような気がする。一文字一文字その人を思って文字を書きたい。

しかし便箋は買うも、切手を買うのが面倒で一歩が踏み出せない。

 

私もどこか遠くに行こうかな。そしたらやる気が出るだろうか。